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プロジェクト概要 Outline of the Project

研究の課題と目的

現代社会にむけての同時代の人類学が取り組むべき重要な研究対象に、「ストリート現象」とここで呼ぶものが含意する広大なフィールドが想定できる。なぜ、いま、「ストリート現象」に注目する人類学が必要なのだろうか。それは端的に言って、いわゆるポストモダニティを特徴づける急激な「フロー」社会化という現実があるからである。その現実は、グローバリゼーションやトランスナショナリズムという概念などを導きにして社会科学全般が現在取組中の進行形の研究対象であることは言うまでもない。人類学に近接しつつ異なるディシプリンである社会学では、たとえば、メディア論的に現代の日常で何事が起きているのかと問い、そこに隠されたリアリティを開示してみせようとしている。そうした成果は意義深いものであるが、その反面、現実を忍耐強く記述するというよりは、方法理論の切れ味が試されている趣きがあって、現実が性急な理論的視野のなかに矮小化されてしまう事態を招きかねない。メスは鋭いが、それが問題の核心を適切に切り取っているかは別問題である。こうして、理論的な枠組みで現実を性急に「わかってしまう」ことの、「上空飛行的な視点」のもたらす弊害は小さくない。進行形の現実は複雑である。人類学的研究の枢要な特性は、それが常にヒューリスティック・アプローチ(未知の対象を試行錯誤を繰り返しながら自己学習的に徐々にわかっていく過程を重視する方法)であることにある。この現実の「わからなさ」に寄り添って忍耐強くつき合い続ける人類学的研究スタイルこそが、他の社会科学の中にあって特異な貢献をできる可能性を示すものである。人類学的研究はこのような方法論上の特長からも知れるように、自ずから「下からの視点」に近親的である。フロー社会、グローバリゼーション、トランスナショナリズムなどの概念の下で議論されている現代の現実は、いまだ未知な対象として「下から」の視点をもってヒューリスティックに忍耐強く記述解明していくことが必要である。

本研究では、こうした人類学方法、視点をもって現代世界に枢要なトランスナショナリズム研究の一翼を開拓するために、「ストリート現象」に注目することが、極めて有効であると考え、課題にすえることになった。すなわち、ここで「ストリート」という概念は、二つの意味を含意する。第一の意味では、まさに個々の実在の街路としてのストリートそのものからヒト、モノ、コトバのグローバル化ないしトランスナショナルな通路という次元でのストリートまでの多層的なストリート現象という検討対象を指している。第二の意味では、ストリートは「下からの視点」という方法的立場を明示している。言い替えれば、上からの超越的言語ではすくい取れない現実、「上からのトランスナショナリズム(transnationalism from above)」では記述できない現実をこそ記述したいという目的に沿う「下からのトランスナショナリズム(transnationalism from below)」の方法的立場を表明しているのである[Smith and Guarnizo 1998]。このようにして、トランスナショナリズムを体現する多層なストリート現象を解明していく研究目標が、<トランスナショナリズムと「ストリート現象」の人類学的研究>という課題として設定された。

人類学においてトランスナショナリズム研究を牽引する重要な研究者であるSteven Vertovecは、その研究の分析枠組みを、「社会形態論」「帰属意識」「文化の再生産」「資本の流通経路」「政治参加の場」「地域性の再構築」の6つに大別している[Vertovec 1999]。この整理を用いると、本研究では、すべての側面を念頭に置きながらも、特に、人類学の特性を生かし、「文化の再生産」と「地域性の再構築」を焦点化することになる。言うなれば、グローバリゼーションの強風の中で展開するローカリティないしローカルカルチャーの変質や再生産の問題をめぐって本研究は展開される。上杉富之は近年のトランスナショナリズム研究を簡潔に要約した上で、研究が手薄な「帰属意識」をめぐる側面(移民の多元的帰属意識や多元的ネットワークをめぐる問題)において人類学の貢献の可能性を強調する[上杉 2004]。この指摘も十分に意識しながら、本研究では、ローカリティないしトランスローカリティの分析の不十分さにメスを入れたいと考えている。というのは、「下からのトランスナショナリズム(transnationalism from below)」という言い方でもまだ十分ではない、より詳細な現実分析をローカルな場の現実は待っていると思われるからである。それは、この領域の研究で競合するカルチュラルスタディーズを踏み越えて、現場での長期調査を踏まえた細かな実態調査なしには見いだせない、繊細な次元のローカルな場の変容と創造を正確に記述することによって完遂される仕事である。その繊細な現実を記述するために、今のところ本研究の代表者である関根は、そのような現代のローカルな場の現実を記述するのに二つのローカリティを腑分けしておくことが枢要と考えて、「勝利するローカリティ」と「敗北したローカリティ」とを明確に区別する必要を説いている[Sekine 2005](「敗北した」という形容はベンヤミンのパサージュ論における「進歩の理論」に基づく「勝者」の歴史にたいして廃墟の自然史として語り出される「敗者」の歴史の着想に負っている[ベンヤミン 1993(1982)])。

本研究ではこのような仮説的なパースペクティヴをもって、とりわけ後者の「敗北したローカリティ」の発掘に努めことになる。しかし、これは単なるマイクロスタディーに終わるものではなく、このミクロな現実をマクロなグローバル化する現代社会の構図のなかに適切に位置づけ直されるところまで考察される。それは「グローカリゼーション」とか「オルター・グローバリゼーション」などのやや粗い概念で表現されている事態をもっと正確に分析、腑分けしていくことによって実相に迫ることを意味している。

その意味で、「ストリート現象」というものは、言語化され現代のディスクールに回収されるかたちで再生産される「勝利するローカリティ」を明らかにするに留まらず、さらにその向こう側に取り残された、あるいはその蔭に隠されたここで「敗北したローカリティ」と呼ぶものを思考する場所として最適なのである。「ストリート現象」にはその<中心>と<周辺>がある。それは「勝利するローカリティ」と「敗北したローカリティ」との区別の具体的イメージを私たちに提供してくれる。関根は、1990年代以降のインドの大都市チェンナイ(マドラス)において「ストリート現象」研究を継続しているが、その研究事例では、一方にストリートの<中心>事象にヒンドゥーナショナリスト・エリート主導の都市祭礼(神像を載せた山車が大行列を作って練り歩く)があり、他方にその同じストリートでの<周辺>事象として貧困層(ホームレスの歩道生活者を含む)が主要な担い手になっている、不法占拠から始まる「歩道寺院」建設活動がある。こうしたミクロでローカルな実践が、実は経済自由化以降のトランスナショナリズムの潮流と無縁でないどころか、その存在によって可能になっている事実を見出すのである[関根 2004]。両事象は同時代に並行して展開しているものであり、片方だけ論じるわけには行かない。しかしながら、このような後者の<周辺>事象をいつまでも周辺としてみていては現実に近づけない。<周辺>の内部に入り込む視点の移動ないし転換が、「敗北したローカリティ」を見出すために不可欠な作法となる。その転換によって、<周辺>は、創造の生活場として<境界>となり、風景は一変する。「そうである世界」と「そうでない世界」の間に「そうであったかも知れない世界」を想像(創造)する可能性を秘めた、差異こそが元手の<境界>という場が現出しているのである。

このような構想・目的と立場・方法をもった本研究は、多重の次元を内包した「ストリート現象」を、世界の多様な地域社会においてインテンシヴにフィールドワークする研究分担者および研究協力者の眼をもって具体的に詳細に記述していくことが、基本的な達成目標となる。そして、4年間の研究期間内に、特に後半の二年間に、そうした詳細記述を土台にして「下からのトランスナショナリズム」のなかでも「敗北したローカリティ」をいかに描き出せるかという方法・理論的な展望を考察していきたいと考えている。すなわち、本研究は基礎データの蓄積とその一定の理論化が研究成果として示されることになる。この予期される研究成果のポイントは、トランスナショナリズム研究の立場が本来含意しているもっとも重要な核になる知見、すなわち世界をみる眼差しの移動・転換にあろう。端的に言えば、移動性を定住の眼差しから異常事態として見るのではなく、その移動性そのものが実は私たちの生活世界のリアリティなのであることを自覚するような眼差しの転換である。これまでのトランスナショナリズム研究の蓄積において、いまだこの核心的な知見はその課題設定の正しさに比して現実的な実証研究の蓄積は不十分であり、その欠を補うことも本研究は直截に目指している。

このような視点の転換の必要性を詳細な現実から学ぶことで得られる本研究の成果の意義は、ポストモダニティ段階の社会においてむしろ現出してきた「第一世界」の中の<広義の意味のホームレス問題(定住者もまたホームレス化しているという理解)>という「第四世界」問題の正確な現実把握に寄与貢献する。この視点の転換の現実把握の視野無しにして、近代社会の定住的な感覚や眼差しに留まっていては、眼前で進行形の形で生起している現代社会の「異様に見える」諸問題は適切な対応の方途を見出せず、むしろ無用な偏見、誤解の中で事態が混乱し解決は遅延されていこう。したがって、本研究は、眼差しの転換の学としての人類学の特長を生かした社会への貢献を展望した基礎的研究であるということができる。