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   <title>トランスナショナリズムと「ストリート」現象の人類学的研究 - メンバーブログ -</title>
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   <updated>2007-12-13T18:16:09Z</updated>
   <subtitle>メンバー便りは、科研メンバー相互の気軽な交流、相互刺激の場とすることを目的に設置します。調査行での気楽な日記でも、帰国後のまだ調査の余韻がある内の新鮮なエッセイでも、どんな形のものでも構いませんので、まだ分析的論文には至らないが、その芽を内包した自由な文章（覚え書き的で構いません）を積極的に投稿してください。若手研究者の方々も遠慮せずに観察日記のつもりで稿をお寄せください。調査に行かれた方は長短自由ですから、是非調査を終えた早い時期に一文をお寄せください。年度末の科研報告にも役立ちますので、活発な情報交換、意見交換の場にしていきたいと思いますので宜しくお願いします。
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   <title>WAGYU（内藤順子）</title>
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   <published>2007-12-13T17:43:23Z</published>
   <updated>2007-12-13T18:16:09Z</updated>
   
   <summary>”WAGYU” チリ大手スーパーJUMBOの肉売り場にて 海外で突然アルファベッ...</summary>
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      <![CDATA[”WAGYU”
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チリ大手スーパーJUMBOの肉売り場にて

海外で突然アルファベット表記の日本語にあってもすぐに認知できないことがある。スペイン語では「わ」の発音がなく、「WA」は「ヴァ」になる。うしろからふたつめの母音にアクセントが来るので、ヴァにアクセントで「ヴァギュ」。

チリのスーパーマーケットでとうとう和牛に出会った。肉売り場で、手に取ったチリの人たちがヴァギュヴァギュ言っている。実は今年９月の独立記念日のときに発見したのだが、今回のクリスマス商戦にも参戦していた。独立記念日で好成績だったのか、余らせていたか。私が佇んでいると、上流をにおわせる年配の女性に話しかけられた。「ヴァギュって何？」と。広告に「オリエンタルテイスト」と書いてあるので、オリエンタルなわたしに聞いてきたのだろう。

確かに、広告のデザインとして背景にはひらがなと漢字があるが、どこにも日本とは書いていない。スペイン語の説明には、「比類ないあまい旨み」「焼きあがりが早いから注意」とあるだけだ。一般に「ヴァ(和)」が日本を意味することが浸透していないので当然の質問だろう。だが、わたしも和牛の定義に詳しいわけではなく困ってしまったので、「日本在来種で健康に育った牛で、やわらかくておいしい」と言っておいた。「健康に育った」というところは、イベリコ豚のイメージが勝手にくっついてしまっただけで、ちょっと嘘だったかもしれない。実際、牛が育つ過程で食べているのはアメリカや中南米産のトウモロコシかもしれない。でも女性はとても納得して、「日本のものなら間違いない。日本大好き。」といって500グラムパックを４つも購入してくれた。とちぎ農協？かチリの輸入会社には説明不足を反省してもらいたい。

しかし、隣国アルゼンチンの牛肉は南米じゃちょっと有名でとてもおいしいし、チリが自国で生産しているものもすごく良質かつ安価だ。このあたりには良い牛肉があふれている。和牛が参戦する必要があるのだろうか。

９月１８日の独立記念日前後を境にチリは春を迎え、お祭りと暴動（１１日クーデター記念日・１９日陸軍記念日）の１週間が終わると夏になる。チリは冬が雨期だ。スモッグに覆われてどんよりと湿った空気から一転、空は高く晴れあがり、オゾン層が破壊した天から痛いほどの日差しが降り注ぐ。原色の花々がきれいに咲き揃い、空気は乾燥して雨が降ることはない。それから半年の間はとにかくことあるごとに、庭先や避暑先で、あるいは道端や軒先でバーベキューをしては肉を食べる季節なのだ。

まもなくクリスマスの連休(平均５日)になると首都人口の３分の２はサンチャゴから家族丸ごと脱出して、海や山で過ごす。スラム住民も例外ではない。すべてではないが。はじめて聞いた時は、「貧困者がリゾート？」と思ってしまったが、それがサンチャゴスラム住民の在りかただ。サンチャゴ市内には走行する車もほとんどなく、ものけのから、ということばが相応しい。正月三が日をきっちり休むのが基本だった一昔前の日本のお正月のような静けさになる。

サンチャゴに残った人びとも、それぞれの家の庭でバーベキューをする。連日、家族や親しい友達が集まって、エンパナダという揚げ餃子のようなものとチョリパン（パンにチョリソーをはさんだもの）をつまみにして、牛肉を中心にした各種獣肉を焼いて食べる。スラム地区でも少々焼かれる肉の産地や部位が違い、頻度も少ないけれど、バーベキューをする。とにかく国民みんなが肉を食べまくる日々の到来だ。

そうした事情のチリに、ヴァギュの参戦。チリの人類学者宅でのバーベキューで和牛を食べてみることになった。売りはオリエンタル・テイストということだが、焼かれてチリ独特のぺブレといわれる濃い味付け(玉ねぎのみじん切り＋角切りトマト＋塩＋チリ)をされると、チリでよくあるステーキになってしまう。飽きた消費者は少し変わったものを求める。それを狙っての和牛であり、ブランド力だろう。味はどうでもいいとまではいかなくても、二の次だ。いまのチリでは何につけても日本そのものがブランドだ。

<img alt="DSCF2359b.jpg" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2359b.jpg" width="448" height="336" />
肉奉行は男性と決まっている

今のところ、「ブランドを食べている、いつもとは違うもの」というのが大事なのだという結論に至っている。ブランドは商品として「パッケージ化」されているだけでなく、その広告展開や販売戦略もパッケージ化されていて、人びとがそれを良いと思い、手に入れて楽しむことを喜びとするという意味では、植民地時代のキリスト教教義のようだ。トランスナショナルについて考えるとき、ブランドというのはひとつの切り口になることを再認識した和牛だった。ブランドとトランスナショナルについては、マクドナルドのローカル商品展開とあわせて高級ブランドを例にまた考えてみたい。]]>
      
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   <title>民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第二回研究会</title>
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   <published>2007-09-24T18:12:22Z</published>
   <updated>2007-09-24T19:18:08Z</updated>
   
   <summary>民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第２回研究会（最終回）の日程が決定しまし...</summary>
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      民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第２回研究会（最終回）の日程が決定しました。

２００７年１１月１０日（土）１３時～　国立民族学博物館
研究報告：松本博之（奈良女子大学）
研究会総括（代表：関根康正）および報告書についての打ち合わせ
懇親会・研究会終了の打ち上げ

※研究報告については詳細が決まり次第更新いたします
      
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   <title>「研究コラム」に新着エッセイ掲載しました：必見です</title>
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   <published>2007-09-24T18:07:51Z</published>
   <updated>2007-09-25T00:21:16Z</updated>
   
   <summary>本サイト内「研究コラム」に「ケガレから都市の歩道へ：『＜都市的なるもの＞の現在：...</summary>
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      <![CDATA[本サイト内「<a href="http://www.transnationalstreet.jp/achievement/column/">研究コラム</a>」に「ケガレから都市の歩道へ：『＜都市的なるもの＞の現在：文化人類学的考察』を編んだ後で」（プロジェクト代表：関根康正）を掲載しました。
『UP』No. 384（2004年）に寄稿されたものの大幅改定・カット前の幻の初稿です。
]]>
      
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   <title>『民博通信』ストリートの人類学特集へのコメント・野村雅一</title>
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   <published>2007-07-16T08:31:44Z</published>
   <updated>2007-11-13T12:32:11Z</updated>
   
   <summary>『民博通信』116号特集「ストリートの人類学」へのコメント この特集はびっくりす...</summary>
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      『民博通信』116号特集「ストリートの人類学」へのコメント

この特集はびっくりするほどよくできている。この「ストリートの人類学」研究会の前身である「＜都市的なるもの＞とは何か？」研究会との連続性もはっきりしており、月刊『みんぱく』2004年8月号の特集「ストリートのいま」と合わせて読むと、これまでこのストリート研究会がなにをやってきたか、だいたいわかるようにまとめられている。

●死とホームレス
今回の特集の論文とエッセイは、それぞれとてもおもしろい。しかしなんと言っても巻頭の関根論文が説得力があって、対象との「距離感」が絶妙だ。わけのわからないところがあるところも、またおもしろい。朝、散歩にでかけていったら、公園に「意地悪ベンチ」と関根さんが名付けているものがあるという話から始まる。そうしたものが存在することに驚いた。それは、ホームレスがそこに寝られないように、排除するためにわざわざ設けられたものらしい。そして、関根さんはホームレスを見てかれらは「どこへ向かって歩いているのか」と考える。それは「死に向かって」であり「自分もそこへ向かっていると悟らされる」と思考は進む。そのようなことを考えるのか、という意外性に加え、絶対的に空間を超えて死に思考がとんでゆくことに、すごさを感じた。それに啓発されてふと、死の後のことを考えた。
別のプロジェクトで私が現在取り組んでいるエイジングへの関心からいうと、人は社会のなかに生まれて、社会のなかで死んでいくから必ず死後があるのだが、ホームレスはそもそも社会から消えているから死後がないのであろうか。人の死とは何をもたらすのだろうか。人は死んでも、生者の記憶に残っている限り完全に消滅はしない。しかし、最近の日本で社会が人の死をどのように受け入れるのか考えてみると、死者と生者の関係がずいぶん変ってきているようだ。このごろ「直葬」という、お通夜も葬儀も告別式もせずに、直接火葬場に送るスタイルが増えているが、もしかするとホームレスはすべて直葬なのだろうか。はじめから消えているわけだから。こうして、「死に向かって」という発想から、いろいろと考えさせられることがある。ホームレスの立場から死を考えるということは、言い方が不謹慎であるが、興味深い、というか大事なことなのではないか。
死との関連から、空間的な問題として街の死、ストリートの死ということを考えた。それは廃墟であると思う。世界の都市のなかでは廃墟が生きている。ローマなどはさまざまな時代の廃墟の重なりの上にできあがっている。それがいま、廃墟も排除されようとしている。意地悪ベンチをつくるような人には、廃墟は都合が悪いところなのだろう。写真(特集の関根論文中)を見ても、廃墟じみたところにいる靴磨きの人たちの居場所が整序されようとしている。生産と消費、家庭と公共、男と女、子供と大人といったカテゴリーの区別が融解しはじめてすでに久しい。分化の論理によって構築されてきた西欧近代の限界といってよいのかもしれない。
ストリートとはという問いかけは、朝の路上についての関根論文からはじまる。文字通り路上という意味のストリートから次には、比喩的な現象の問題として把握されていく。それは小田論文で言及される騒乱の場としてのストリート、そこで起こる現象をモダニティと結びつける比喩としてのストリート（「ストリートを取り戻す」）という論点に移り、さらに「トランスナショナル」という問題へと展開していくわけだ。

●ストリートの場所性
そこでひとつだけいっておきたいのは、「ローカル」という問題だ。ストリートとは比喩にしても空間にしても道なのだが、それはいつも匿名で、固有な場所性はほとんど問題にしてきていなかった。（「都市の無意識」についての南氏の発表は例外。ホームページの要旨参照）ストリートの研究会でも、世界各地の話が扱われてきた。それらはたまたまそこをフィールドにしていて、どこであってもいい現象として考えられている。根本的な問題や現象をとらえるために、当該の場所が匿名にされることが、現在の人類学でも大半を占めている。そうした場合の「ローカルな場所」というのは、「グローバルのなかのローカルな場所」といっても、どこでもない、概念になってしまっている。しかし、ローカルとは本来は名前がある特定の場所である。固有性、歴史性、一回性の、その場でしかないものということが大事なのではないか。たしかにフィールドの話をしていても、一般論にしてしまうのでは、場所の固有性の、かけがえのなさはどこへいってしまうのか。人間におきかえるなら、「その人」だからこそというのはどうなってしまうのか。
今春、アメリカの人類学者テオドル・ベスターの『築地』という本が出た。本としては構成も章立ても破綻しているようで、筋道だっていない。ところが非常におもしろい。この本を読んで啓発されたのが、場所の問題だ。著者がとくに強調するのが、商取引における場所の重要性。築地は世界中から魚があつめられる水産業の中心であり、世界最大の、まさにトランスナショナルなグローバルなマーケットなのだ。ベスターは、これが築地という場所でずっと営まれていることが肝心で、移転したらまったく別のものになるであろうという。英語のマーケットは、マーケットとマーケットプレイス、日本語でいうと「しじょう」と「いちば」とふたつに区別できる意味があるが、築地の場合はそれらふたつは区別できず分かちがたいという。築地はグローバルな、為替相場とおなじスポット市場だ。しかし、このマーケットとしての築地(しじょう)を、物理的な築地という場所(いちば)と切り離して考えることはできない。空間や場所には文化的プロセスをとおして意味というものが付着している。これは金融市場でも同じである。モノが動かないわけだからどこにあってもいいようなものだが、ニューヨークのウォール街が絶対的な力を持ち、そこでなければならない。日本の古本のネット通販でも、取引相手が神田になっていると信用できそうに思う。それは、その場所の固有性があるからだろう。トランスナショナルということが盛んにいわれているが、この本では、トランスナショナルというテーマのなかにおけるローカルの重要性について指摘されている。「場所は、流動的なプロセスの真っ只中に、空間的(そして社会的)固定性という知覚を作り出すのである」（『築地』テオドル・ベスター著，木楽舎，2007年，58頁）と。すべての場所に、すべての空間にあてはまるわけではないが、名前のある場所として考えていくのも大事だと思う。これまで比喩的現象としてのストリートについてもずっと一般的な問題として扱ってきているので、個別の場所に徹底的にこだわる立場があってもよいのではないかとおもった。文字どおりの道とか路上のストリートと、比喩や現象としての広義のストリートとを結びつけるもの、それが場所性なのではないかと考えた。
　近森論文に出てくるベンヤミンのパサージュ論でいえば、パサージュにも本来場所性がある。似たようなものはヨーロッパのあちこちにあるが、それぞれのパサージュには名前があって、アイデンティティ、伝統、人間関係がそこに付着している。そうしたことにこだわると、もうひとつの見方ができるのではないだろうか。場所へのこだわりを取っ払ってしまうと、わかりやすいものになってしまう。そもそも固有性とはわかりにくいものであり、だからこそ『築地』の著者ベスターも長年築地にこだわってきたのだろう。場所というのもわからないものなのだ。人類学の魅力とは、何かわからない「異物」に取り組んでいくなかで、その異物をくぐり抜けて一般的なところへ出て行くことなのではないか。それが人類学の方法であり課題だと思う。今日トランスナショナルの現象はたくさんあるわけだが、すべてがトランスナショナルなわけではない。トランスナショナルの地平まで出かけてそれを論じるためには、その前提となるナショナルやローカルをくぐり抜けていく必要がある。その点からいうと、加藤論文ではフーコーの規律社会からさらに先にいくドゥルーズの管理型社会というセキュリティについて言及している。監視カメラはどこにでもあるが、しかし場所によって付け方がいろいろとあるという、さすが地理学者は場所をおさえるものなのだと勉強になった。トランスナショナルも、こうしたところから考え直さなければならないのではないか。

●ストリートと「マナー化」
規律社会や管理社会ということから、最近もうひとつ関心を持っているのは「マナー化」ということだ。近ごろ東京あたりでは高校生のマナーが悪くなったとかいわれ、マナーが問題になっているらしい。それについてどう思うか、という日経新聞の取材を受けた。そのときに、そういえば近ごろは、マナーとはいうが、作法とはいわないなと思った。
ニュースでのマナー問題はじつは２００７年の５月９日の北海道新聞の報道からはじまった。旭川からの支線で朝の通学時間に、高校生が126人積み残されてしまい、次の電車は１時間後とかになるからタクシーに分乗させたという出来事である。これは高校生が詰めて乗らないからいけないと、ＪＲから校長にマナー指導の要望が出された。そうすると、たしかに高校生のマナーは悪いという投書が寄せられてきて、毎日新聞や読売新聞でも続報が掲載されたり、関東でも同様だといった騒ぎになった。ところがこの北海道新聞のはじめの報道では、列車は車両１両しかないうえに、この日はいつもより定員が10人少ない車両を使っていた事情が書かれていなかった。で、東京の人はこの記事を読んで高校生のマナーを問題にした。東京はどこにいっても人がいっぱいで、それで満員電車ならまだ仕方ないが、これは北海道の真ん中の話。北海道の原野のなかでぎゅうぎゅう詰めの電車に乗るなんて、ばかげている。電車を増便するのにお金がかかるのなら、北海道が一部負担するなりすべきではないのか。条件をととのえないで当事者である高校生の責任にしようとする。これは大人が、あるいは社会が悪い。フーコーのいう管理は外部からだが、いまマナー化でそれをもっと内面化することを求めている。これが自主的な自己管理という形で、ストリートのいろいろなところに出てきているように思う。日本の都会の満員電車は根本的に考えなければいけないことだと思う。満員電車は人間をモノとしてみるから詰め込めることができるわけで、知り合いだったら無理だろう。満員電車は人をモノ扱いすることで成り立っている。たぶん痴漢というのもそれと関連している。作法や礼儀というのは、顔が見える関係でお互いがわかったうえでの配慮の関係である。しかしマナーというのは顔の見えない関係が前提の、人間関係をどう取り繕うかということであろう。満員電車というこの日本独特の光景。そのなかでまさにポストモダンな新しい規律が求められている。それが都会ならまだしも、田舎の高校生に。彼らは互いに名前も顔も知っている間柄で車両１両に押し込められているそのしんどさに怒りを感じるのだ。意地悪ベンチや満員電車といった日本の都市の風景をうけて、何がどうなろうとしているのか見定めていきたい。
（野村雅一・京都外国語大学）
民博共同研究「ストリートの人類学」
2007年7月2日研究会2日目10時より　於：国立民族学博物館第3セミナー室で口頭発表したものです
      
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   <title>南インド・チェンナイ市訪問日記（関根康正）</title>
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   <published>2007-06-25T05:30:05Z</published>
   <updated>2007-06-25T22:50:51Z</updated>
   
   <summary> この二月にインドに出かけた。この数年、欧米のインド移民の動向に目を向けていたの...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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      <![CDATA[ この二月にインドに出かけた。この数年、欧米のインド移民の動向に目を向けていたので、５年ぶりのインドである。超短期の滞在でしたが、それでも世紀をはさんだ社会変化はさらに加速度を増していた。ごく限られた期間だったので広くは見ることはできなかったが、チェンナイ市中の定宿にしている小ホテルの周辺のストリート状況の変化は目撃できた。その覚え書きを簡単に記しておきたいと思う。
 以前、他の所に書いたように、サーライ（大通り）からの露天商の追放現象をこの１０年間、目撃してきました。露天商はどこに行ったのでしょう。大方はサーライからテル（中規模の通り）に少し入ったあたりの歩道に拠点を移している。あまり入りすぎてはいけない。そういう微妙な奥まりの場所が活気づいていることに、たくましさを感じた。そんなテルの歩道空間に、家族で営む朝夕二回店を出すスナック売りが繁盛していた。これがとても印象的だった。午前、午後の小腹が減ったとき衣をたっぷりつけ油で揚げた野菜揚げが次々と売れていく様は見ていて気持ちいい。店の台のしつらえも、家族間の役割分担、仕事の連係プレイも良くできている。だいぶ流行っているようで、歩く人、自転車で来る人、バイクで来る人、いや車で来る人と、このお店の揚げ物がお目当てという風で大いに頻繁に人だまりができる。この家族は道の反対側まで占拠し、そこで材料を処理し下ごしらえをしている。だから、道を行ったり来たりする。店開きの時はこちら側、店仕舞いしての合間は反対の歩道にいることが多いようだ。彼らは寝泊まりする路上生活者ではない。住まいは別にある。歩道が生業の場所なのだ。
ところで、もう一つの空間的変化は、立体交差で一旦削られたサーライの歩道が、前のより少し狭いが再び再建された。
<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/%E7%94%BB%E5%83%8FindiaFeb2007%20114web.jpg"><img alt="%E7%94%BB%E5%83%8FindiaFeb2007%20114web.jpg" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/%E7%94%BB%E5%83%8FindiaFeb2007%20114web-thumb.jpg" width="448" height="336" /></a>
<サーライの歩道再建後>
できたばかりで、歩道上にまだ露天商はいない。街路樹も一切無い。今度は文字通り歩道として機能しているようにも見えるが、そうは言い切れない。これからの変化が楽しみ。

写真１～６はサーライに近いテルの歩道の模様

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF1995.JPG"><img alt="DSCF1995.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF1995-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真１：午前の様子（午前１０時くらいか、軽い朝食）＞

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2051.JPG"><img alt="DSCF2051.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2051-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真２：午後の様子（午後５時頃か、野菜の揚げ物）＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2012.JPG"><img alt="DSCF2012.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2012-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真３：昼休みの店仕舞い＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2050.JPG"><img alt="DSCF2050.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2050-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真４：店の反対側の歩道は調理場＞

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2014.JPG"><img alt="DSCF2014.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2014-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真５：テルの歩道の靴屋さんその１＞
大通りサーライの立体交差建設以前だったら、その表通りの歩道にいたはずの靴屋さんも、今はテルに引っ込んで商売している。小さな鍵付きの納屋を作ってしまった。位置は上記の揚げ物屋さんのすぐ隣である。黙々と仕事をしている。夕方店仕舞いして家に帰る。

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2017.JPG"><img alt="DSCF2017.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2017-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真６：テルの歩道の靴屋さんその２＞ 

写真７～１５は、2007年2月の記録として示す。

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2009.JPG"><img alt="DSCF2009.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2009-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真７：ムスリム女性の服装＞ 
ブルカー着用の若い女性が増えている。タミルナードゥ州の調査を始めた１９８０年代から９０年代前半まではほとんど見かけなかった。９０年代後半から徐々に目にする頻度が高まっている。経済自由化の影響で経済成長に入っているインドであるから、北インドからの人々も以前より南インドの主要都市にも来るチャンスが増えているのだろう。それも影響している。

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2010.JPG"><img alt="DSCF2010.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2010-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真８：若い女性の服装＞ 
若い女性の北インド化は、この１０年、特に顕著。９０年代前半までジーパンをはく若い女の子はいなかった。パジャマも非常に少なかった。

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2011.JPG"><img alt="DSCF2011.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2011-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真９：サーライを走る公共バス＞ 
プライベイトの乗り物はどんどん向上しているのに、変わらぬ公共バス。鉄板の歪み、おおざっぱな作りが特徴。そろそろいい加減に、モデルチェンジしたらと思うくらいバスは旧態依然としている。なぜでしょうか？　ボートバンクにならないから？　なると思うが。

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2033.JPG"><img alt="DSCF2033.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2033-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真10：少し高級なアパートメント：とにかく外装が綺麗になった＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2043.JPG"><img alt="DSCF2043.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2043-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真11：八百屋の店先の生ジュース販売　これも新しい現象　清潔感が増している＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2034.JPG"><img alt="DSCF2034.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2034-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真12：９０年代後半にシンガポールの清掃会社に学んで始まったチェンナイ・クリーン作戦は今もどうにか続いているようだが、ぴかぴかしていた可動式ゴミ入れもずいぶん古くなってきた＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2040.JPG"><img alt="DSCF2040.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2040-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真13：テルの歩道寺院　オートリキシャのスタンドとされる　5年前はこの看板はなかった＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2041.JPG"><img alt="DSCF2041.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2041-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真14：テルの歩道の路上生活者　5年前はここには路上生活者はいなかった＞ 

<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2054.JPG"><img alt="DSCF2054.JPG" src="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/DSCF2054-thumb.JPG" width="448" height="336" /></a>
＜写真15：ホテルの窓から南東を望む　新しい目を引く景観となった高層高級アパートメント＞ ]]>
      
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   <title>『呪術化するモダニティ：現代アフリカの宗教的実践から』阿部年晴・小田亮・近藤英俊編</title>
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   <published>2007-06-01T13:29:05Z</published>
   <updated>2007-06-04T13:50:11Z</updated>
   
   <summary>阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ：現代アフリカの宗教的実践から...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ：現代アフリカの宗教的実践から』風響社（５月３０日刊）が刊行されました。内容の詳細は以下の通りです。

【内容】
まえがき
プロローグ「瞬間を生きる個の謎、謎としての現代アフリカ」近藤英俊　
第一部　呪術とモダニティ、その理論的検討
　「妖術と近代：三つの陥穽と新たな展望」浜本満
　「E-Pを読み直す:オカルトエコノミー論を越えて」出口顕
　「呪術・憑依・ブリコラージュ：真正性の水準とアイデンティティ」小田亮
第二部　ポストモダンの宗教的実践、そのリアリティ
　「妖術表象と近代国家の構図：妖術というキアスム」 菊池滋夫
　「神をつくる：ベナン南西部における伝統医の活動への一考察」 田中正隆
　「グローバリゼーションとしてのペンテコステ運動：タンザニアのキリスト教徒たち」小泉真理
　「＜歴史＞を営む：南アフリカのグリクワ独立教会における＜歴史＞の共有」 海野るみ
エピローグ　「後背地から…」阿部年晴
あとがき
索引
      
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   <title>民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第一回研究会</title>
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   <published>2007-05-28T12:55:39Z</published>
   <updated>2007-06-08T21:07:10Z</updated>
   
   <summary>民博共同研究「ストリートの人類学」の一年間延長が決定しました。 最終年度第１回目...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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         <category term="1: 研究会等情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      民博共同研究「ストリートの人類学」の一年間延長が決定しました。
最終年度第１回目の開催日程・内容は下記の通りです。

6月30日（土）13:30～19:00
13:30～16:00西垣有「モンゴル・ウランバートル市におけるトランスナショナルな場の生成」
16:00～19:00田沼幸子「あの人たちには文化がない：革命キューバのストリート(calle)」 

7月 1日（日）10:00～15:00
　１）特集「ストリートの人類学」についての討論
　２）報告書内容に関する討論

      
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   <title>日本文化人類学会第41回研究大会分科会「第四世界考：フィールドはいかに記述できるのか」開催のお知らせ</title>
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   <published>2007-05-25T07:01:05Z</published>
   <updated>2007-06-08T21:06:38Z</updated>
   
   <summary>投稿者：内藤順子 6月2日(土)から3日(日)に名古屋大学で開催される日本文化人...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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         <category term="1: 研究会等情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿者：内藤順子
6月2日(土)から3日(日)に名古屋大学で開催される日本文化人類学会第41回研究大会において、大会2日目9時から分科会<strong>「第四世界考：フィールドはいかに記述できるのか」</strong> (代表：内藤)をすることになりましたので、この場を借りてお知らせ申し上げます。　下記のとおり、発表者・コメンテーターともに本科研メンバーを主体とした分科会です。みなさまにご来場いただき、忌憚のないご意見をお寄せいただいたり、温かい目で見守っていただければ恐悦至極に存じます。

【発表者】
磯田和秀(成城大学民俗学研究所･研究員)
「善き隣人となるために：蒙古善隣協会の＜工作＞から」
國弘暁子(神奈川大学･COE研究員)
「性別(セックス)は誰が決めるのか：インド・グジャラート州に生きるヒジュラの同一性を巡る問題」
植村清加(成城大学民俗学研究所･研究員)
「つながりの民族誌：フランス・パリ郊外のマグレブ系移民の生活実践から」
内藤順子(日本女子大学・学振特別研究員)
「＜貧困＞に架ける橋：”下からの民族誌記述”に向けて」
【コメンテーター】
阿部年晴 先生(埼玉大学名誉教授)
棚橋　訓 先生(お茶の水女子大学教授)]]>
      
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   <title>大阪大学グローバルコラボレーションセンター　セミナー</title>
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   <published>2007-05-21T19:01:33Z</published>
   <updated>2007-06-08T21:04:45Z</updated>
   
   <summary>&quot;Exhuming Development&quot;  『開発の発掘：現代インドにおける...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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         <category term="1: 研究会等情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      &quot;Exhuming Development&quot;
 『開発の発掘：現代インドにおけるパフォーマンス、現実感、サバルタンエージェンシー』  

◆日時：5月２３日（水）　1７：00～18：30（質疑応答含む）
◆場所：大阪大学中之島センター　2階　講義室　（参加無料）
◆セミナー内容および講師紹介：
Dr. Aradhana Sharma 　Assistant Professor of Anthropology 
(ウェスリアン大学　人類学部助教授)
Aradhana Sharma 博士は、インドの開発、国家建設と開 発言説の関係などについて大きな実績を残されている人類学者です。1993年にコロンビア大学で国際問題のMA、2001年にスタンフォード大学で人類学のPh.D.を取得されました。Akhil Guptaとの共編書The Anthropology of the State (Blackwell, 2006) ほか、多くの著作があります。今回は、反開発論に反論する方法を、インドの例をもとに講演されます。 
＊英語講演  
主　催：　 大阪大学グローバルコラボレーションセンター 
会　場：　 大阪大学中之島センター　２階　講義室 
窓口連絡先：　 06-6444-2109 
 

      
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   <title>文献情報『人間文化研究所年報：特集トランスナショナリズム』</title>
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   <published>2007-05-13T17:29:08Z</published>
   <updated>2007-05-13T18:28:44Z</updated>
   
   <summary>投稿：科研事務局 名古屋市立大学人間文化研究所から『人間文化研究所年報』第２号が...</summary>
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      <name>管理者</name>
      
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         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿：科研事務局
名古屋市立大学人間文化研究所から『人間文化研究所年報』第２号が刊行されました(2007年3月)。特集「トランスナショナリズム」（第1部「越境の文学」、第2部「外国人住民との共生」）です。詳しい目次はこちらから→　<a href="http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~institute/publication/pdf/publication07.pdf">『人間文化研究所年報』第２号目次</a>]]>
      
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   <title>文献情報『トランスナショナリティ研究』大阪大学21世紀COEプログラム報告</title>
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   <id>tag:www.transnationalstreet.jp,2007:/memberonly//2.31</id>
   
   <published>2007-05-13T05:24:38Z</published>
   <updated>2007-05-13T08:17:07Z</updated>
   
   <summary>投稿者：科研事務局 大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」...</summary>
   <author>
      <name>管理者</name>
      
   </author>
         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿者：科研事務局
大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」の<a href="http://www.let.osaka-u.ac.jp/coe/web/modules/ih/sample/houkokusho2004_2006.pdf">報告書全８巻</a>のうちの第３巻目は『トランスナショナリティ研究』（第Ⅰ部「トランスナショナリティ研究の展開」、第Ⅱ部「ローカリティ研究：事例研究」）です。
さらにCOE<a href="http://www.let.osaka-u.ac.jp/coe/web/modules/pukiwiki/index.php?%a5%c8%a5%e9%a5%f3%a5%b9%a5%ca%a5%b7%a5%e7%a5%ca%a5%ea%a5%c6%a5%a3%b8%a6%b5%e6">「トランスナショナリティ研究班」</a>から報告書として『境界の生産性：トランスナショナリティ研究』、『場を越える流れ：トランスナショナリティ研究２』、『グローバル化と市民社会：トランスナショナリティ研究３』、『＜日本＞を超えて：トランスナショナリティ研究４』、『ポスト・ユートピアの民族誌：トランスナショナリティ研究５』、『ポストナショナル・シチズンシップ：トランスナショナリティ研究６』が刊行されています。
阪大COE事務局の取り計らいにより、本科研事務局関根研究室に上述報告書一式が揃いました。

その他の大阪大学COEトランスナショナリティ研究関連文献についての情報は
こちらから→<a href="http://www.let.osaka-u.ac.jp/coe/web/modules/news/index.php?storytopic=13&storynum=30">トランスナショナリティ研究：出版物・研究論文</a>]]>
      
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   <title>民博共同研究の討論(特集「ストリートの人類学『民博通信』116号をめぐって)</title>
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   <published>2007-05-11T14:45:19Z</published>
   <updated>2007-05-13T14:56:51Z</updated>
   
   <summary>投稿者：関根康正 この「民博共同研究の討論」というカテゴリーで、基本的にはこれま...</summary>
   <author>
      <name>管理者</name>
      
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         <category term="4: 自由討論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿者：関根康正
この「民博共同研究の討論」というカテゴリーで、基本的にはこれまで積み重ねてきた研究会の内容を土台にしながら、直近の手がかりとしてはこの3月に刊行された<a href="http://www.minpaku.ac.jp/publication/tsushin/116.html">『民博通信』116号</a>の特集「ストリートの人類学」（および野村先生の編集で編まれた共同研究会が開始された2004年の夏に刊行された<a href="http://www.minpaku.ac.jp/publication/gekkan/200408.html">『月刊みんぱく』８月号</a>）を参照していただき、「ストリートの人類学」の現時点での総括に向けて少しずつ討論していきたいと思います。しかしながら、ここではまとめの思考を求めるというより、自由な発想を展開していただけたらいいかと存じます。　ご参考までに、最近民博に提出した2006年度共同研究「ストリートの人類学」の年次報告書「研究成果の概要」ファイルをご覧いただけます。　ダウンロードはこちらをクリック→<a href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/2006%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.doc">「2006年度研究成果概要ファイル」</a>
※以下のコメントは、投稿日の新しいものが上にくるようになっております。日付の古い順に下から上へと積まれておりますので、古いものは下方へのスクロールにてご覧いただけます。]]>
      
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   <title>阿部年晴先生の新着文献情報</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/2007/05/post_6.html" />
   <id>tag:www.transnationalstreet.jp,2007:/memberonly//2.27</id>
   
   <published>2007-05-06T15:44:41Z</published>
   <updated>2007-05-06T15:50:03Z</updated>
   
   <summary>投稿者：関根康正 阿部年晴先生の人類学の核心を表現した貴重な三本の御論考が次々と...</summary>
   <author>
      <name>管理者</name>
      
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         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿者：関根康正
阿部年晴先生の人類学の核心を表現した貴重な三本の御論考が次々と上梓されました（一本は近刊ですが）。本科研にとって本当に有り難いことです。紹介する関根はまだ１）しか読んでいませんが、３）は民博の共同研究会でお話しいただいたことに深く関わるものと想像します。

1）「ケガレという解放?　不浄という呪縛?」阿部年晴・綾部真雄・新屋重彦編『辺縁のアジア：<ケガレ>が問いかけるもの』明石書店、pp.274-329、2007年2月
2）「アフリカを語るための覚書」中部大学国際人間学研究所編『アリーナ』4：59-75、2007年4月
 3）「後背地から・・・」阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニテイ　アフリカの宗教的実践から』風響社（2007年6月刊行予定）]]>
      
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   <title>『排除する社会・受容する社会：現代ケガレ論』関根康正・新谷尚紀編著</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/2007/05/post_5.html" />
   <id>tag:www.transnationalstreet.jp,2007:/memberonly//2.25</id>
   
   <published>2007-05-03T05:57:32Z</published>
   <updated>2007-05-03T07:47:04Z</updated>
   
   <summary>投稿：関根康正 新谷尚紀さんとの共編で、『排除する社会・受容する社会：現代ケガレ...</summary>
   <author>
      <name>JN</name>
      
   </author>
         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      投稿：関根康正
新谷尚紀さんとの共編で、『排除する社会・受容する社会：現代ケガレ論』（吉川弘文館）が２００７年の５月に刊行されました。編集本としてはバラバラで、作成過程もひどかったですが、とにかくケガレ論再論の機会とするためだけに形にしました。お陰で、無理解な人たちと討論するという貴重な機会をいただきました。馬鹿馬鹿しくも苦しくも為になりました。それだから、これまででもっとも易しいケガレ論の説明になっていると思うのですが・・・。機会がありましたらめくってみてください。私の中ではケガレ論がストリートやトランスナショナリズムをめぐる議論につながっております。
      
   </content>
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   <title>『民博通信』No.116（特集：ストリートの人類学）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/2007/05/no116.html" />
   <id>tag:www.transnationalstreet.jp,2007:/memberonly//2.24</id>
   
   <published>2007-05-03T05:55:24Z</published>
   <updated>2007-05-12T17:42:00Z</updated>
   
   <summary>投稿：関根康正 2007年3月に『民博通信』No.116（特集：ストリートの人類...</summary>
   <author>
      <name>JN</name>
      
   </author>
         <category term="2: 文献情報" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.transnationalstreet.jp/memberonly/">
      <![CDATA[投稿：関根康正
2007年3月に<a href="http://www.minpaku.ac.jp/publication/tsushin/116.html">『民博通信』No.116</a>（特集：ストリートの人類学）がようやく刊行されました。
皆様のお手元に届いていると思いますが、無い方はおっしゃってください。お送りします。
これは民博での共同研究会の中途の成果です。ご一読いただき、メンバーズブログに
感想をお寄せいただけましたら幸いです。

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