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5: 地域別|8 : ヨーロッパ、2007年04月24日
スペイン・エストレマドゥーラ(Extremadura)地方、エルナン・コルテスをはじめとする
”Conquistador(定訳は「征服者」)”を輩出した地域である。マドリッドから南西方向へバスで2,3時間ゆくと、一面拡がっていたオリーブ畑が一変して険しい岩山と寒々しい針葉樹の景色になる。肥沃さとは無縁の、農業には適さず海からも遠い、そうした条件がコンキスタドールをうみだし外へ向かわせたと言われている。
エストレマドゥーラのほぼ中央にグアダルーペという町がある。人口2700くらいの小さなところだがReal Monasterio de Santa Maria de Guadalupe=聖母グアダルーペ王立修道院がある。聖母グアダルーペは、スペインの守護聖母で黒色の肌をしている。聖母信仰のさかんなスペインではかなり人気のある聖母で1993年に、修道院の建物とともにユネスコの世界遺産に登録された。
マドリッドからバスで4時間しかきてないのにびっくりするほど田舎町だ。
そのど真ん中に聳えるのがこの王立修道院である。カトリックの底力を感じる立派さだ。というよりカトリック両王の息づかいがまだのこるような迫力と荘厳さ。修道院はヘロニモ修道会が母体で、尼さんはおらず、僧ばっかり。ゴシック様式の石造りの建物はリアル「薔薇の名前」な雰囲気で、中世っぷりに浸れる。
しかし一般的に、世界で知られているグアダルーペといえば、鶴見俊輔の著作にもあるとおり、メキシコの褐色の肌を持つグアダルーペの聖母である。とはいえ、宗主国的にはスペインが先だというだろうし、メキシコ史学でも美術史でも「シンクレティズム」で説明されている。メキシコ先住民(アステカ)の大地母神と聖母マリアの融合であり、その際メキシコ人が親近感を持ちやすいであろう「褐色の肌」をしたマリアにすることで爆発的布教に成功したのだと。それ以上の解釈はないし、必要もなかっただろう。
メキシコ・シティのバシリカ(グアダルーペ寺院)境内で膝行参拝する親子
メキシコで道のあちこち、店の中やタイル装飾などいたるところで見かけるグアダルーペの聖母像。シンクレティズムという分析概念は、歴史的にそれがどう解釈されるかという説明をした気分にはさせると思う。しかし今を生きる聖母信仰について、熱心に膝行するメキシコの人びとについてとらえたものではない。むしろ植民地拡大時代の宗主国の意図やその構造を永遠におしつけているだけのものになる。時間の流れの中で、旧宗主国と旧植民地のありかたはあたりまえだが変わっている。時代がくだったいま、グアダルーペの聖母信仰をあらためて考えてみることは、旧宗主国と旧植民地の計り知れない関係を再認識する手だてになるようにも思えた。
Posted by JN Date:2007年04月24日 02:18|パーマリンク
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関根康正:
まず、風景が目に浮かぶ筆力に感心。
この事例は壮大なスケールで、しかも複雑に、トランスナショナリズムとトランスローカリズムを考える良い事例になると思われる。最近この二つの概念を一旦分けて考えて見た方が良いように思ってきた。
「聖母グアダルーペは、スペインの守護聖母で黒色の肌をしている」ということは、どういう経緯でそうなっているの?そう思ってインターネットで見たら、下の頁にそれらしい素人の説明に出くわした。中沢新一が「バルセロナ、秘密3」で触れているらしいこともわかった。
http://renai.sunmarie.com/qa2572205.html
要するに、褐色のマリア像とは、これってマリア信仰のトランスナショナリティの核心的問題なんでしょ。幾度も幾度もトランスナショナリズムを経て創造されてきたわけですね。インドにもマリア信仰はすさまじい勢いで入り込んでいる。私の実見では、面白いのはタミル・キリスト教徒の信仰実践が、タミル・ヒンドゥー寺院でのそれとあまり変わらないこと。ヒンドゥーの女神信仰と連続的な面を明らかに持っている。
聖母マリア崇拝の比較文化論という仕事は当然誰かしているでしょうね? でも人類学的にすることに意味がありそうですね。
そういえば壱岐の勝本浦にある聖母神社(しょうもじんじゃ)は月経中の女性もお参りOK。神功皇后を祀るそうだが、想像が膨らむね!
投稿者: 関根康正 | 2007年06月19日 00:30