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メンバー便り Member blog

メンバー便り:3 : ラテンアメリカ

構えない交流(内藤順子)

3 : ラテンアメリカ|5: 地域別、2006年08月16日

今日のサンチャゴは冷え込みました。
「ストーブに当たりながらアイスを食べる」という行為を無性に実現したくなったわたしは
近くのスーパーで真剣にアイスクリームを選んでいました。

ヴィエネッタという日本でもお目にかかったことのあるケーキ状にアイスが織りなさたもの、
月曜セールで日本円にして200円。
DSCF1088.JPG

これだな。と思ってそれをカゴにいれようと思ったとき
「ねえってば」と肩をたたかれたのでそちらを見たら、見知らぬ子連れの女性がいました。
ヴィエネッタに夢中だったわたしは気づかなかったのですが、ちょっと前からいた模様です。
「子どもにアイスを買ってあげたいの、小銭を頂戴」といわれました。

そう言ってくる人みんなにあげてるときりがないので一度は断ったものの、
わたしのヴィエネッタに子どもの目が釘付けになっている・・・ばつが悪いとはこのこと。
ちょうどポケットに小銭があったので渡しました。

スーパーを出て、その出来事のことをぼんやり考え、
どちらかというと悲しい気分でした。現実が。
そこに、さっきの親子がいて、確かに子どもがアイスを持っていて、
母親は通りすがりの男性にやはり「小銭を頂戴」と言っていました。
母親はわたしに気づき、満面の笑顔で「ありがとう」と。
わたしが、いいの。というやいなや、「食べるものもないの」と引き続き甘える母親。
わたしはその発言を無視して、単純な興味から、「どっからきてるの?」と聞きました。
居住地域のはっきりしているこの国では、彼らは遠くから来ているはずで
バス代がかかるだろうになあ、というたんなる疑問です。

彼女は「えっ?」という顔をしたあと、不意の質問に答えてくれました。
子どもが「あなたはどこからきたの?韓国?中国?」とわたしに尋ねました。
わたしが「日本」と答えると、母親が「はじめて話した日本人よ」と。
それじゃね、と角を曲がって違う方向へいったわたしに背後から
「ねえほんとにありがとう、話せてうれしかった」と大声でいわれて照れくさかったです。

わたしたちはもっと考えるべきことがあると思いました。
構えない交流、人が文脈から自由になったときにみえるものを大事にしなければならないと。

Posted by JN Date:2006年08月16日 03:48|

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コメント (5)

Online Banking:

@chels I know what you mean, its hard to find good help these days. People now days just don't have the work ethic they used to have. I mean consider whoever wrote this post, they must have been working hard to write that good and it took a good bit of their time I am sure. I work with people who couldn't write like this if they tried, and getting them to try is hard enough as it is.

投稿者: Online Banking | 2010年10月18日 00:15

日時: 2010年10月18日 00:15

Chase:

Thanks for sharing this helpful info!

投稿者: Chase | 2010年10月17日 13:29

日時: 2010年10月17日 13:29

Chase:

I think that is an interesting point, it made me think a bit. Thanks for sparking my thinking cap. Sometimes I get so much in a rut that I just feel like a record.

投稿者: Chase | 2010年10月17日 09:17

日時: 2010年10月17日 09:17

内藤順子:

おお、朝日さん、コメントありがとうございます。
あれ以来、この親子とはまだ再会しておらず・・・アイスより良い時間になったなんてことはないだろうけど、”アイスの日本人”てくらいの覚えられ方はしてるかも、などと妄想します。

あの日常の場面では、母親にとって、わたしはヴィエネッタというネギを背負った鴨だったと思うんです。それで目的達成するといういつもの”施す・施される”という関係性のなかで個人的な会話なんて必要ないはずで。でもちょっとプライベートトークしたあの瞬間に、ふとそのあたりまえの関係性の枠をはずれたというか、システムから逃れた瞬間のように感じたんです。じつはこのあたりの経験が、先日学会で発表した、人が複数の文脈を生きることへの注目へとつながったのでした。

そして、朝日さんが「肉まんの奪い合い」のなかで書かれている、”延々とつながるご自身とは無関係ではない何か”というのが、わたしが上に舌足らずで”考えなくてはいけないことがある”、と思ったことと、たぶん通じる胸に迫るものだったんじゃないかなあと、ひとり勝手にとても同感しておりました。

投稿者: 内藤順子 | 2007年06月16日 05:27

日時: 2007年06月16日 05:27

朝日由実子:

>わたしのヴィエネッタに子どもの目が釘付けになってい
>る・・・ばつが悪いとはこのこと。
>ちょうどポケットに小銭があったので渡しました。

子どもの目線って、なぜか物凄い力を感じてしまいます;
アイスとは、なんだか幸せの象徴のような気がして、
’幸せのおすそわけ’の気がしました。

内藤さんとの会話もアイスに負けずおとらず親子にとって、
いい時間になったのですね。

投稿者: 朝日由実子 | 2007年06月16日 00:47

日時: 2007年06月16日 00:47