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メンバー便り Member blog

メンバー便り

本ページの内容に関して、無断引用を厳禁とします。

メンバー便りは、科研メンバー相互の気軽な交流、相互刺激の場とすることを目的に設置します。調査行での気楽な日記でも、帰国後のまだ調査の余韻がある内の新鮮なエッセイでも、どんな形のものでも構いませんので、まだ分析的論文には至らないが、その芽を内包した自由な文章(覚え書き的で構いません)を積極的に投稿してください。若手研究者の方々も遠慮せずに観察日記のつもりで稿をお寄せください。調査に行かれた方は長短自由ですから、是非調査を終えた早い時期に一文をお寄せください。年度末の科研報告にも役立ちますので、活発な情報交換、意見交換の場にしていきたいと思いますので宜しくお願いします。

WAGYU(内藤順子)

3 : ラテンアメリカ、2007年12月14日

”WAGYU”
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チリ大手スーパーJUMBOの肉売り場にて

海外で突然アルファベット表記の日本語にあってもすぐに認知できないことがある。スペイン語では「わ」の発音がなく、「WA」は「ヴァ」になる。うしろからふたつめの母音にアクセントが来るので、ヴァにアクセントで「ヴァギュ」。

チリのスーパーマーケットでとうとう和牛に出会った。肉売り場で、手に取ったチリの人たちがヴァギュヴァギュ言っている。実は今年9月の独立記念日のときに発見したのだが、今回のクリスマス商戦にも参戦していた。独立記念日で好成績だったのか、余らせていたか。私が佇んでいると、上流をにおわせる年配の女性に話しかけられた。「ヴァギュって何?」と。広告に「オリエンタルテイスト」と書いてあるので、オリエンタルなわたしに聞いてきたのだろう。

確かに、広告のデザインとして背景にはひらがなと漢字があるが、どこにも日本とは書いていない。スペイン語の説明には、「比類ないあまい旨み」「焼きあがりが早いから注意」とあるだけだ。一般に「ヴァ(和)」が日本を意味することが浸透していないので当然の質問だろう。だが、わたしも和牛の定義に詳しいわけではなく困ってしまったので、「日本在来種で健康に育った牛で、やわらかくておいしい」と言っておいた。「健康に育った」というところは、イベリコ豚のイメージが勝手にくっついてしまっただけで、ちょっと嘘だったかもしれない。実際、牛が育つ過程で食べているのはアメリカや中南米産のトウモロコシかもしれない。でも女性はとても納得して、「日本のものなら間違いない。日本大好き。」といって500グラムパックを4つも購入してくれた。とちぎ農協?かチリの輸入会社には説明不足を反省してもらいたい。

しかし、隣国アルゼンチンの牛肉は南米じゃちょっと有名でとてもおいしいし、チリが自国で生産しているものもすごく良質かつ安価だ。このあたりには良い牛肉があふれている。和牛が参戦する必要があるのだろうか。

9月18日の独立記念日前後を境にチリは春を迎え、お祭りと暴動(11日クーデター記念日・19日陸軍記念日)の1週間が終わると夏になる。チリは冬が雨期だ。スモッグに覆われてどんよりと湿った空気から一転、空は高く晴れあがり、オゾン層が破壊した天から痛いほどの日差しが降り注ぐ。原色の花々がきれいに咲き揃い、空気は乾燥して雨が降ることはない。それから半年の間はとにかくことあるごとに、庭先や避暑先で、あるいは道端や軒先でバーベキューをしては肉を食べる季節なのだ。

まもなくクリスマスの連休(平均5日)になると首都人口の3分の2はサンチャゴから家族丸ごと脱出して、海や山で過ごす。スラム住民も例外ではない。すべてではないが。はじめて聞いた時は、「貧困者がリゾート?」と思ってしまったが、それがサンチャゴスラム住民の在りかただ。サンチャゴ市内には走行する車もほとんどなく、ものけのから、ということばが相応しい。正月三が日をきっちり休むのが基本だった一昔前の日本のお正月のような静けさになる。

サンチャゴに残った人びとも、それぞれの家の庭でバーベキューをする。連日、家族や親しい友達が集まって、エンパナダという揚げ餃子のようなものとチョリパン(パンにチョリソーをはさんだもの)をつまみにして、牛肉を中心にした各種獣肉を焼いて食べる。スラム地区でも少々焼かれる肉の産地や部位が違い、頻度も少ないけれど、バーベキューをする。とにかく国民みんなが肉を食べまくる日々の到来だ。

そうした事情のチリに、ヴァギュの参戦。チリの人類学者宅でのバーベキューで和牛を食べてみることになった。売りはオリエンタル・テイストということだが、焼かれてチリ独特のぺブレといわれる濃い味付け(玉ねぎのみじん切り+角切りトマト+塩+チリ)をされると、チリでよくあるステーキになってしまう。飽きた消費者は少し変わったものを求める。それを狙っての和牛であり、ブランド力だろう。味はどうでもいいとまではいかなくても、二の次だ。いまのチリでは何につけても日本そのものがブランドだ。

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肉奉行は男性と決まっている

今のところ、「ブランドを食べている、いつもとは違うもの」というのが大事なのだという結論に至っている。ブランドは商品として「パッケージ化」されているだけでなく、その広告展開や販売戦略もパッケージ化されていて、人びとがそれを良いと思い、手に入れて楽しむことを喜びとするという意味では、植民地時代のキリスト教教義のようだ。トランスナショナルについて考えるとき、ブランドというのはひとつの切り口になることを再認識した和牛だった。ブランドとトランスナショナルについては、マクドナルドのローカル商品展開とあわせて高級ブランドを例にまた考えてみたい。

Posted by 管理者 Date:2007年12月14日 02:43| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第二回研究会

1: 研究会等情報、2007年09月25日

民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第2回研究会(最終回)の日程が決定しました。

2007年11月10日(土)13時~ 国立民族学博物館
研究報告:松本博之(奈良女子大学)
研究会総括(代表:関根康正)および報告書についての打ち合わせ
懇親会・研究会終了の打ち上げ

※研究報告については詳細が決まり次第更新いたします

Posted by 管理者 Date:2007年09月25日 03:12| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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「研究コラム」に新着エッセイ掲載しました:必見です

1: 研究会等情報、2007年09月25日

本サイト内「研究コラム」に「ケガレから都市の歩道へ:『<都市的なるもの>の現在:文化人類学的考察』を編んだ後で」(プロジェクト代表:関根康正)を掲載しました。
『UP』No. 384(2004年)に寄稿されたものの大幅改定・カット前の幻の初稿です。

Posted by 管理者 Date:2007年09月25日 03:07| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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都市のストリートとヒジュラ(國弘暁子)

5: 地域別|6 : 南アジア、2007年07月19日

インド、グジャラート州の商業都市アーメダバード。市の中心を流れるサバルマティ河を境に、旧市街と新市街に分かれる。新市街側は、高層住宅が続々と建設されて、グジャラートの富裕層たちが多く暮らす。整然としたつくりの新興都市の裾野は広がる一方だが、河を挟んだ反対側の旧市街には開発という文字は見当たらない。混沌とした旧市街の中心部には、幅2メートルほどの道がクモの巣状に張り巡らされ、道の両側に並ぶ商店が通りの活気を生み出している。

旧市街の中心部を活動拠点とするヒジュラのジャヤさんは、幼い頃からこの地で暮らし、両親が亡くなった後に去勢をして、ヒジュラとなった。都市におけるヒジュラの生業は、数名の仲間とともに、生まれた子供の家や、結婚式場を訪れて、彼らに女神の恩寵を与え、ある一定の金額を受け取ることである。仲間と活動する時間帯は早朝から午後2時頃まで。その後は、皆それぞれの家に戻る。ジャヤさんの場合、夕刻に一人でバザールに出かけることが大好きで、道の途中で知人と出会う度に立ち止まり、長話をしている。そんな井戸端会議は、ジャヤさんにとっては情報を得る格好の機会である。話し相手が女性の場合、彼女たちは、どの家で子が生まれたかの情報をジャヤさんに教えるのである。
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写真1)ポール(ストリート)居住区の風景

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写真2)午前中のバザール風景:三本の道が交差する場

ある日、道ですれ違った知人の女性が、ジャヤさんに「どこに行ってたのよ。どこどこの家に子が生まれたよ」、と情報をよせてきた。その翌日、ジャヤさんと私は、その家へと向かった。その家の場所を突止めると、ジャヤさんは自分の財布に常に忍ばせている赤いチョークを取り出して、自分のマークと名前を壁に書き込んだ。それは、他のヒジュラに自分の取り分を横取りされないためである。ジャヤさんと訪れた家は、ベンガル地方(東インド)出身者の家で、子供はまだ生後11日目であった。

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写真3)印付け

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写真4)子をあやす

通常、子が生まれてから約一ヶ月間は儀礼的ケガレの期間であり、子が生まれてから6日目までは、そのケガレも強力であると言われる。6日目とは、女神があの世からやって来て、子の額に運命を記す日であり、チャッティ(6日目)という儀礼も行われる。つまり、6日目というのは、この世に誕生した子が、初めてこの世における運目を授かる日である。そして、この日を境にして、あの世とこの世の境界現象としてケガレも減少していく。

この儀礼的ケガレの状態にある期間は、他所の家の人間は、生まれた子に触れることも、また、生まれた子がいる家に近づくこともしないのだが、ヒジュラであるジャヤさんには関係ない。生まれたばかりの子を抱きかかえて恩寵を子に与えていた。ただし、誕生のケガレ状態にある家の水は飲まなかった。子の誕生を祝う儀礼はこれだけではない。ケガレの期間が終わる頃に、ジャヤさんは自分の仲間を数名連れ立って、ダンスを披露し、歌を歌うのである。

[歌詞]
クリシュナのゆりかごを揺らす
父方オバが来て、ギフトをくれ、
命名をする(グジャラートでは、父方オバが名付け親となる)
母方オバは子(クリシュナ)が大好き
甘いものをもってくる
ゆりかごを揺らす

8日目(吉日)に生まれた
ゴクール村はお前の村
ナンダ・バワ(父親の名)の家
カンクワルはお前の名前
ゆりかごを揺らす

Posted by 管理者 Date:2007年07月19日 13:28| | コメント: 2 | トラックバック: 0

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『民博通信』ストリートの人類学特集へのコメント・野村雅一

4: 自由討論、2007年07月16日

『民博通信』116号特集「ストリートの人類学」へのコメント

この特集はびっくりするほどよくできている。この「ストリートの人類学」研究会の前身である「<都市的なるもの>とは何か?」研究会との連続性もはっきりしており、月刊『みんぱく』2004年8月号の特集「ストリートのいま」と合わせて読むと、これまでこのストリート研究会がなにをやってきたか、だいたいわかるようにまとめられている。

●死とホームレス
今回の特集の論文とエッセイは、それぞれとてもおもしろい。しかしなんと言っても巻頭の関根論文が説得力があって、対象との「距離感」が絶妙だ。わけのわからないところがあるところも、またおもしろい。朝、散歩にでかけていったら、公園に「意地悪ベンチ」と関根さんが名付けているものがあるという話から始まる。そうしたものが存在することに驚いた。それは、ホームレスがそこに寝られないように、排除するためにわざわざ設けられたものらしい。そして、関根さんはホームレスを見てかれらは「どこへ向かって歩いているのか」と考える。それは「死に向かって」であり「自分もそこへ向かっていると悟らされる」と思考は進む。そのようなことを考えるのか、という意外性に加え、絶対的に空間を超えて死に思考がとんでゆくことに、すごさを感じた。それに啓発されてふと、死の後のことを考えた。
別のプロジェクトで私が現在取り組んでいるエイジングへの関心からいうと、人は社会のなかに生まれて、社会のなかで死んでいくから必ず死後があるのだが、ホームレスはそもそも社会から消えているから死後がないのであろうか。人の死とは何をもたらすのだろうか。人は死んでも、生者の記憶に残っている限り完全に消滅はしない。しかし、最近の日本で社会が人の死をどのように受け入れるのか考えてみると、死者と生者の関係がずいぶん変ってきているようだ。このごろ「直葬」という、お通夜も葬儀も告別式もせずに、直接火葬場に送るスタイルが増えているが、もしかするとホームレスはすべて直葬なのだろうか。はじめから消えているわけだから。こうして、「死に向かって」という発想から、いろいろと考えさせられることがある。ホームレスの立場から死を考えるということは、言い方が不謹慎であるが、興味深い、というか大事なことなのではないか。
死との関連から、空間的な問題として街の死、ストリートの死ということを考えた。それは廃墟であると思う。世界の都市のなかでは廃墟が生きている。ローマなどはさまざまな時代の廃墟の重なりの上にできあがっている。それがいま、廃墟も排除されようとしている。意地悪ベンチをつくるような人には、廃墟は都合が悪いところなのだろう。写真(特集の関根論文中)を見ても、廃墟じみたところにいる靴磨きの人たちの居場所が整序されようとしている。生産と消費、家庭と公共、男と女、子供と大人といったカテゴリーの区別が融解しはじめてすでに久しい。分化の論理によって構築されてきた西欧近代の限界といってよいのかもしれない。
ストリートとはという問いかけは、朝の路上についての関根論文からはじまる。文字通り路上という意味のストリートから次には、比喩的な現象の問題として把握されていく。それは小田論文で言及される騒乱の場としてのストリート、そこで起こる現象をモダニティと結びつける比喩としてのストリート(「ストリートを取り戻す」)という論点に移り、さらに「トランスナショナル」という問題へと展開していくわけだ。

●ストリートの場所性
そこでひとつだけいっておきたいのは、「ローカル」という問題だ。ストリートとは比喩にしても空間にしても道なのだが、それはいつも匿名で、固有な場所性はほとんど問題にしてきていなかった。(「都市の無意識」についての南氏の発表は例外。ホームページの要旨参照)ストリートの研究会でも、世界各地の話が扱われてきた。それらはたまたまそこをフィールドにしていて、どこであってもいい現象として考えられている。根本的な問題や現象をとらえるために、当該の場所が匿名にされることが、現在の人類学でも大半を占めている。そうした場合の「ローカルな場所」というのは、「グローバルのなかのローカルな場所」といっても、どこでもない、概念になってしまっている。しかし、ローカルとは本来は名前がある特定の場所である。固有性、歴史性、一回性の、その場でしかないものということが大事なのではないか。たしかにフィールドの話をしていても、一般論にしてしまうのでは、場所の固有性の、かけがえのなさはどこへいってしまうのか。人間におきかえるなら、「その人」だからこそというのはどうなってしまうのか。
今春、アメリカの人類学者テオドル・ベスターの『築地』という本が出た。本としては構成も章立ても破綻しているようで、筋道だっていない。ところが非常におもしろい。この本を読んで啓発されたのが、場所の問題だ。著者がとくに強調するのが、商取引における場所の重要性。築地は世界中から魚があつめられる水産業の中心であり、世界最大の、まさにトランスナショナルなグローバルなマーケットなのだ。ベスターは、これが築地という場所でずっと営まれていることが肝心で、移転したらまったく別のものになるであろうという。英語のマーケットは、マーケットとマーケットプレイス、日本語でいうと「しじょう」と「いちば」とふたつに区別できる意味があるが、築地の場合はそれらふたつは区別できず分かちがたいという。築地はグローバルな、為替相場とおなじスポット市場だ。しかし、このマーケットとしての築地(しじょう)を、物理的な築地という場所(いちば)と切り離して考えることはできない。空間や場所には文化的プロセスをとおして意味というものが付着している。これは金融市場でも同じである。モノが動かないわけだからどこにあってもいいようなものだが、ニューヨークのウォール街が絶対的な力を持ち、そこでなければならない。日本の古本のネット通販でも、取引相手が神田になっていると信用できそうに思う。それは、その場所の固有性があるからだろう。トランスナショナルということが盛んにいわれているが、この本では、トランスナショナルというテーマのなかにおけるローカルの重要性について指摘されている。「場所は、流動的なプロセスの真っ只中に、空間的(そして社会的)固定性という知覚を作り出すのである」(『築地』テオドル・ベスター著,木楽舎,2007年,58頁)と。すべての場所に、すべての空間にあてはまるわけではないが、名前のある場所として考えていくのも大事だと思う。これまで比喩的現象としてのストリートについてもずっと一般的な問題として扱ってきているので、個別の場所に徹底的にこだわる立場があってもよいのではないかとおもった。文字どおりの道とか路上のストリートと、比喩や現象としての広義のストリートとを結びつけるもの、それが場所性なのではないかと考えた。
 近森論文に出てくるベンヤミンのパサージュ論でいえば、パサージュにも本来場所性がある。似たようなものはヨーロッパのあちこちにあるが、それぞれのパサージュには名前があって、アイデンティティ、伝統、人間関係がそこに付着している。そうしたことにこだわると、もうひとつの見方ができるのではないだろうか。場所へのこだわりを取っ払ってしまうと、わかりやすいものになってしまう。そもそも固有性とはわかりにくいものであり、だからこそ『築地』の著者ベスターも長年築地にこだわってきたのだろう。場所というのもわからないものなのだ。人類学の魅力とは、何かわからない「異物」に取り組んでいくなかで、その異物をくぐり抜けて一般的なところへ出て行くことなのではないか。それが人類学の方法であり課題だと思う。今日トランスナショナルの現象はたくさんあるわけだが、すべてがトランスナショナルなわけではない。トランスナショナルの地平まで出かけてそれを論じるためには、その前提となるナショナルやローカルをくぐり抜けていく必要がある。その点からいうと、加藤論文ではフーコーの規律社会からさらに先にいくドゥルーズの管理型社会というセキュリティについて言及している。監視カメラはどこにでもあるが、しかし場所によって付け方がいろいろとあるという、さすが地理学者は場所をおさえるものなのだと勉強になった。トランスナショナルも、こうしたところから考え直さなければならないのではないか。

●ストリートと「マナー化」
規律社会や管理社会ということから、最近もうひとつ関心を持っているのは「マナー化」ということだ。近ごろ東京あたりでは高校生のマナーが悪くなったとかいわれ、マナーが問題になっているらしい。それについてどう思うか、という日経新聞の取材を受けた。そのときに、そういえば近ごろは、マナーとはいうが、作法とはいわないなと思った。
ニュースでのマナー問題はじつは2007年の5月9日の北海道新聞の報道からはじまった。旭川からの支線で朝の通学時間に、高校生が126人積み残されてしまい、次の電車は1時間後とかになるからタクシーに分乗させたという出来事である。これは高校生が詰めて乗らないからいけないと、JRから校長にマナー指導の要望が出された。そうすると、たしかに高校生のマナーは悪いという投書が寄せられてきて、毎日新聞や読売新聞でも続報が掲載されたり、関東でも同様だといった騒ぎになった。ところがこの北海道新聞のはじめの報道では、列車は車両1両しかないうえに、この日はいつもより定員が10人少ない車両を使っていた事情が書かれていなかった。で、東京の人はこの記事を読んで高校生のマナーを問題にした。東京はどこにいっても人がいっぱいで、それで満員電車ならまだ仕方ないが、これは北海道の真ん中の話。北海道の原野のなかでぎゅうぎゅう詰めの電車に乗るなんて、ばかげている。電車を増便するのにお金がかかるのなら、北海道が一部負担するなりすべきではないのか。条件をととのえないで当事者である高校生の責任にしようとする。これは大人が、あるいは社会が悪い。フーコーのいう管理は外部からだが、いまマナー化でそれをもっと内面化することを求めている。これが自主的な自己管理という形で、ストリートのいろいろなところに出てきているように思う。日本の都会の満員電車は根本的に考えなければいけないことだと思う。満員電車は人間をモノとしてみるから詰め込めることができるわけで、知り合いだったら無理だろう。満員電車は人をモノ扱いすることで成り立っている。たぶん痴漢というのもそれと関連している。作法や礼儀というのは、顔が見える関係でお互いがわかったうえでの配慮の関係である。しかしマナーというのは顔の見えない関係が前提の、人間関係をどう取り繕うかということであろう。満員電車というこの日本独特の光景。そのなかでまさにポストモダンな新しい規律が求められている。それが都会ならまだしも、田舎の高校生に。彼らは互いに名前も顔も知っている間柄で車両1両に押し込められているそのしんどさに怒りを感じるのだ。意地悪ベンチや満員電車といった日本の都市の風景をうけて、何がどうなろうとしているのか見定めていきたい。
(野村雅一・京都外国語大学)
民博共同研究「ストリートの人類学」
2007年7月2日研究会2日目10時より 於:国立民族学博物館第3セミナー室で口頭発表したものです

Posted by 管理者 Date:2007年07月16日 17:31| | コメント: 4 | トラックバック: 0

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南インド・チェンナイ市訪問日記(関根康正)

5: 地域別|6 : 南アジア、2007年06月25日

この二月にインドに出かけた。この数年、欧米のインド移民の動向に目を向けていたので、5年ぶりのインドである。超短期の滞在でしたが、それでも世紀をはさんだ社会変化はさらに加速度を増していた。ごく限られた期間だったので広くは見ることはできなかったが、チェンナイ市中の定宿にしている小ホテルの周辺のストリート状況の変化は目撃できた。その覚え書きを簡単に記しておきたいと思う。
以前、他の所に書いたように、サーライ(大通り)からの露天商の追放現象をこの10年間、目撃してきました。露天商はどこに行ったのでしょう。大方はサーライからテル(中規模の通り)に少し入ったあたりの歩道に拠点を移している。あまり入りすぎてはいけない。そういう微妙な奥まりの場所が活気づいていることに、たくましさを感じた。そんなテルの歩道空間に、家族で営む朝夕二回店を出すスナック売りが繁盛していた。これがとても印象的だった。午前、午後の小腹が減ったとき衣をたっぷりつけ油で揚げた野菜揚げが次々と売れていく様は見ていて気持ちいい。店の台のしつらえも、家族間の役割分担、仕事の連係プレイも良くできている。だいぶ流行っているようで、歩く人、自転車で来る人、バイクで来る人、いや車で来る人と、このお店の揚げ物がお目当てという風で大いに頻繁に人だまりができる。この家族は道の反対側まで占拠し、そこで材料を処理し下ごしらえをしている。だから、道を行ったり来たりする。店開きの時はこちら側、店仕舞いしての合間は反対の歩道にいることが多いようだ。彼らは寝泊まりする路上生活者ではない。住まいは別にある。歩道が生業の場所なのだ。
ところで、もう一つの空間的変化は、立体交差で一旦削られたサーライの歩道が、前のより少し狭いが再び再建された。
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<サーライの歩道再建後>
できたばかりで、歩道上にまだ露天商はいない。街路樹も一切無い。今度は文字通り歩道として機能しているようにも見えるが、そうは言い切れない。これからの変化が楽しみ。

写真1~6はサーライに近いテルの歩道の模様

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<写真1:午前の様子(午前10時くらいか、軽い朝食)>

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<写真2:午後の様子(午後5時頃か、野菜の揚げ物)>

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<写真3:昼休みの店仕舞い>

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<写真4:店の反対側の歩道は調理場>

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<写真5:テルの歩道の靴屋さんその1>
大通りサーライの立体交差建設以前だったら、その表通りの歩道にいたはずの靴屋さんも、今はテルに引っ込んで商売している。小さな鍵付きの納屋を作ってしまった。位置は上記の揚げ物屋さんのすぐ隣である。黙々と仕事をしている。夕方店仕舞いして家に帰る。

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<写真6:テルの歩道の靴屋さんその2>

写真7~15は、2007年2月の記録として示す。

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<写真7:ムスリム女性の服装>
ブルカー着用の若い女性が増えている。タミルナードゥ州の調査を始めた1980年代から90年代前半まではほとんど見かけなかった。90年代後半から徐々に目にする頻度が高まっている。経済自由化の影響で経済成長に入っているインドであるから、北インドからの人々も以前より南インドの主要都市にも来るチャンスが増えているのだろう。それも影響している。

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<写真8:若い女性の服装>
若い女性の北インド化は、この10年、特に顕著。90年代前半までジーパンをはく若い女の子はいなかった。パジャマも非常に少なかった。

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<写真9:サーライを走る公共バス>
プライベイトの乗り物はどんどん向上しているのに、変わらぬ公共バス。鉄板の歪み、おおざっぱな作りが特徴。そろそろいい加減に、モデルチェンジしたらと思うくらいバスは旧態依然としている。なぜでしょうか? ボートバンクにならないから? なると思うが。

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<写真10:少し高級なアパートメント:とにかく外装が綺麗になった>

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<写真11:八百屋の店先の生ジュース販売 これも新しい現象 清潔感が増している>

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<写真12:90年代後半にシンガポールの清掃会社に学んで始まったチェンナイ・クリーン作戦は今もどうにか続いているようだが、ぴかぴかしていた可動式ゴミ入れもずいぶん古くなってきた>

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<写真13:テルの歩道寺院 オートリキシャのスタンドとされる 5年前はこの看板はなかった>

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<写真14:テルの歩道の路上生活者 5年前はここには路上生活者はいなかった>

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<写真15:ホテルの窓から南東を望む 新しい目を引く景観となった高層高級アパートメント>

Posted by 管理者 Date:2007年06月25日 14:30| | コメント: 1 | トラックバック: 0

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『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』
阿部年晴・小田亮・近藤英俊編

2: 文献情報、2007年06月01日

阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』風響社(5月30日刊)が刊行されました。内容の詳細は以下の通りです。

【内容】
まえがき
プロローグ「瞬間を生きる個の謎、謎としての現代アフリカ」近藤英俊 
第一部 呪術とモダニティ、その理論的検討
 「妖術と近代:三つの陥穽と新たな展望」浜本満
 「E-Pを読み直す:オカルトエコノミー論を越えて」出口顕
 「呪術・憑依・ブリコラージュ:真正性の水準とアイデンティティ」小田亮
第二部 ポストモダンの宗教的実践、そのリアリティ
 「妖術表象と近代国家の構図:妖術というキアスム」 菊池滋夫
 「神をつくる:ベナン南西部における伝統医の活動への一考察」 田中正隆
 「グローバリゼーションとしてのペンテコステ運動:タンザニアのキリスト教徒たち」小泉真理
 「<歴史>を営む:南アフリカのグリクワ独立教会における<歴史>の共有」 海野るみ
エピローグ 「後背地から…」阿部年晴
あとがき
索引

Posted by 管理者 Date:2007年06月01日 22:29| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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民博共同研究「ストリートの人類学」今年度第一回研究会

1: 研究会等情報、2007年05月28日

民博共同研究「ストリートの人類学」の一年間延長が決定しました。
最終年度第1回目の開催日程・内容は下記の通りです。

6月30日(土)13:30~19:00
13:30~16:00西垣有「モンゴル・ウランバートル市におけるトランスナショナルな場の生成」
16:00~19:00田沼幸子「あの人たちには文化がない:革命キューバのストリート(calle)」

7月 1日(日)10:00~15:00
 1)特集「ストリートの人類学」についての討論
 2)報告書内容に関する討論

Posted by 管理者 Date:2007年05月28日 21:55| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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日本文化人類学会第41回研究大会
分科会「第四世界考:フィールドはいかに記述できるのか」開催のお知らせ

1: 研究会等情報、2007年05月25日

投稿者:内藤順子
6月2日(土)から3日(日)に名古屋大学で開催される日本文化人類学会第41回研究大会において、大会2日目9時から分科会「第四世界考:フィールドはいかに記述できるのか」 (代表:内藤)をすることになりましたので、この場を借りてお知らせ申し上げます。 下記のとおり、発表者・コメンテーターともに本科研メンバーを主体とした分科会です。みなさまにご来場いただき、忌憚のないご意見をお寄せいただいたり、温かい目で見守っていただければ恐悦至極に存じます。

【発表者】
磯田和秀(成城大学民俗学研究所・研究員)
「善き隣人となるために:蒙古善隣協会の<工作>から」
國弘暁子(神奈川大学・COE研究員)
「性別(セックス)は誰が決めるのか:インド・グジャラート州に生きるヒジュラの同一性を巡る問題」
植村清加(成城大学民俗学研究所・研究員)
「つながりの民族誌:フランス・パリ郊外のマグレブ系移民の生活実践から」
内藤順子(日本女子大学・学振特別研究員)
「<貧困>に架ける橋:”下からの民族誌記述”に向けて」
【コメンテーター】
阿部年晴 先生(埼玉大学名誉教授)
棚橋 訓 先生(お茶の水女子大学教授)

Posted by 管理者 Date:2007年05月25日 16:01| | コメント: 2 | トラックバック: 0

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大阪大学グローバルコラボレーションセンター セミナー

1: 研究会等情報、2007年05月22日

"Exhuming Development"
『開発の発掘:現代インドにおけるパフォーマンス、現実感、サバルタンエージェンシー』

◆日時:5月23日(水) 17:00~18:30(質疑応答含む)
◆場所:大阪大学中之島センター 2階 講義室 (参加無料)
◆セミナー内容および講師紹介:
Dr. Aradhana Sharma  Assistant Professor of Anthropology
(ウェスリアン大学 人類学部助教授)
Aradhana Sharma 博士は、インドの開発、国家建設と開 発言説の関係などについて大きな実績を残されている人類学者です。1993年にコロンビア大学で国際問題のMA、2001年にスタンフォード大学で人類学のPh.D.を取得されました。Akhil Guptaとの共編書The Anthropology of the State (Blackwell, 2006) ほか、多くの著作があります。今回は、反開発論に反論する方法を、インドの例をもとに講演されます。
*英語講演
主 催:  大阪大学グローバルコラボレーションセンター
会 場:  大阪大学中之島センター 2階 講義室
窓口連絡先:  06-6444-2109

Posted by 管理者 Date:2007年05月22日 04:01| | コメント: 0 | トラックバック: 0

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